四つの生き物
御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。4:6
黙示録第四章は、審判の前の天界のあらゆる事柄の調整です(AE258)。この審判はすでに行われ、この新しい天界の教義は、啓示され、私たちに示されています。
第二・第三章に描かれた七つの教会は、新しい教義が啓示される前の教会ですが、その性質は、新教会にも残り、私たちが克服しなければならない面を発見することができます。なぜならこの七つの教会はあらゆる教会のこと、すなわち私たちそれぞれのことであるからです。
6月19日は新教会の日として、聖なる都である神的真理の教義(HD6)が完成し、世で主に従っていた使徒たちを集めて全世界に宣教に送り出されたことを記念する日です(TCR791)。
この都は、天から下ってきて、そしてこの「都の門は一日中決して閉じることがない。」(21:25)とされる神的真理の教義ですが、七つの教会の性質は根深く、新教会と称する教会にも残っており、この教会はまだ地の教会に到達できていません。第四章の天界の事柄の調整、すなわち、私たちの内心の深い部分を調整し、再び地上の新教会の完成に向け進みます。
黙示録の第四章には、荘厳で不思議な天界の光景が描かれています。黙示録の著者ヨハネの前に門があり、ラッパのような声に呼ばれて「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」と声があります。
御座が現れ、その方は碧玉や赤瑪瑙のように見え、周りは緑玉のように見える虹があります。
御座の周りの24の座と、そこに金の冠をかぶる長老が見えます。
そして、稲妻と声と雷鳴が起こり、七つの灯が御座の前で燃えています。
天界の光景で、注意をひきやすく、私たちが学ぶべきものは、「前もうしろも目で満ちた四つの生き物」(4:6)と24人の長老です。四つの生き物はダニエル書(7:3-8)や、エゼキエル書(1:5,6)にも現れますが、黙示録の四つの生き物とは微妙に異なります。もちろん、古代の恐竜のように、過去か未来の世界のどこかにこの四つの生き物が、生きて実在しているというわけでもありません。
この生き物は「御座の中央と御座の回りに」(4:6)にいます。御座の中央に座っておられるのは、主イエス・キリストです。そして御座の周りは、主に近い、より内的な、あるいは高い天界のことです。
四つの生き物とは、ケルビムと呼ばれる天使たちのことです。
しかし天使たちのことを意味するのではなく、「愛の善と仁愛の善を除いては、内的天界に近づいてはならない」という主の守りと、摂理を意味します。さらに、「主ご自身から直接、そして高い天界から間接的に、下位の天界と地上の教会に流入するためには、秩序の内にあらねばならない」が意味されます (AE277) 。すなわち、主の力で維持される、天界の基本原則です。
この主の摂理と、守りの力が以下で説明されています。
「第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。」(4:7)
獅子、雄牛、人間、空飛ぶ鷲の四つの生き物は、そのような生き物がいるのではなく、いわば表象的存在です。それは、天界では実際見えますが、それぞれ、力、無垢と仁愛、知恵、知性を意味する表象的存在です。霊的な解釈が、実体・実質となります。
獅子の表す「力」は、偽りと悪を消散させ、打ち勝ちます。(AE278) もちろん、獅子が、偽りと悪を消散させるわけではなく、天使が、主の力を用いて、偽りと悪を散らし、地獄に追い返します。そして、天使が使う力の源は、神的真理としてのみ言葉にあります。
み言葉は、天的なことと、霊的なことを表象し相応します。それは、霊的意味の基礎です(AE278-1)。
文字上の意味が、天界と地上で、同じ意味を考えるなら、その両世界で考えた者に相応が産まれ、交流が産まれます。するとこの交流によって、天界の力が、地上に流れてきます。
主による天界の力の流入を産むためには、愛の善と仁愛の善が必要です。なぜなら結びつきを産むのは「愛」であるからです。「愛」以外に結びつきを生み出す力はありません。人と天界が愛によって結びつき、主の力が天界を通して、自然界に流入します。この相応があるのは、主のみ言葉です。この相応の力を悪用すれば、魔法使いと呼ばれ、排斥されます。
そして自然界という究極の場と、天界の結合は、相応を持つみ言葉によって生まれます。
教義は、主ご自身が啓示された天界の教義を除き、人が相手に教えやすいように考えだしたものです。しかし主のみ言葉は違います。なぜなら、み言葉は、主から発し、その小さな部分・部分にいたるまで、天界の結婚があるからです。聖書には似たような言葉が、繰り返されますが、それは善を意味するものと、真理を意味するものが使用され、善と真理は天界の結婚を産み、愛の源になっています。例を挙げてみます。
黙示録の四章の9.10節です。
「また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。」
二十四人の長老とは、主の周りにいる権力を与えられた老人たちのことではありません。この長老の一人になりたいと願う人がいたら、大きな偽りと、権力欲の悪にとらわれています。二十四は、すべてを表す十二の倍数で元の数字と同じ「すべて」を表します。善と真理の知識すべてが意味されています。
「栄光と誉れ」の「栄光」は真理を意味し、「誉れ」は善を意味します。この二つがともに言われるのは、真理と善の結合という天界の結婚を生み出すからです。・・この二つが天界を造り、そして教会を造ります。この結婚はみ言葉の個々の部分にあります。これが、み言葉が最も神聖である理由です。(AE288-3)
神的真理と神的善を受け入れ、天界と教会、そして永遠の生命のすべては主から来ることを心から認めるのは、善から真理にいる者にしかできません。そしてこれができる者だけが信仰と愛にいます。そして信仰と愛にいる者だけが、魂と心で、主と結びつきます。結びつきのある魂と心に、主は流入します。(AE290-2)
結びつきは、初めは疑念的なものが、実行段階以上にまで高められ、初めて起こります。もし結びつきがなければ、それは記憶の中だけにとどまることになります。記憶された知識は消化せずに止まります。消化されて本人のものとなっていないので本人との結びつきを産みません。記憶は人の入り口、入り口のある庭にしかすぎません。
み言葉と教義を学び、実行せずにいる人は、天界の玄関の庭でたむろしている乞食のような存在です。愛することによって、相応が産まれず、消化されて自分のものとされないので、いつまでたっても天界の門はくぐれません。
第二の生き物の「雄牛」は、無垢と仁愛を意味します。雄牛は自然的な人のもつ善です。天界に近づくためには、穢れのない無垢の心と、人に対する優しい心が必要です (AE279) 。人に危害を与えようとする心や、優しい気持ちを持てなければ、天界にはふさわしくありません。天界からはじき出され、近づけません。無垢と仁愛がない者は、天界に近づけないという、主の摂理、守りの力が働きます。
第三の生き物の「人」は、霊的真理への情愛と、知恵です(AE280)。「人」は顔かたちではなく、知恵から人です。もちろん悪知恵は「知恵」ではありません。また霊的真理を、栄光や名誉、そして利得なしに、愛します。愛するとは、生活に使って「知恵」にまで高めることです。霊的真理への情愛から、それを生活に役立てることで、知恵となります。純粋な霊的真理への情愛と知恵がなければ、主と天界には近づけません。そして、正確にいえば、主おひとりが知恵であり、「人」です。
第四の生き物の「空飛ぶ鷹」は知性を表します(AE281)。そして知性は真理から来ます(AE281-7)。
真理が含まれるみ言葉から、真理を得るには知性が必要です。
空飛ぶ鷹は、高く飛び、あらゆる方角に気を配って知性を得ます。私たちが学ぶことによって知性を高めていったように、高い知性がなければみ言葉から真理を引き出せません。空飛ぶ鷹が示す、あらゆる方向に注意を払う知性がなければ、神的なものや天界には近づけないのが、主の守りのお力です。
教義の要点を並べたものは、受験のアンチョコで役立ったという経験のある人には便利ですが、消化されず行われない知識は、入り口の前の前、さらにはるか前にしかありません。それは知性や、知恵や、無垢や仁愛とは、かけはなれています。主の摂理によって、近づくことはできません。
例えれば、頂上にみ言葉がある富士山を、周囲の県から、はるか遠くから眺めているような状態です。み言葉を読まず、地図を読むだけです。地図を読むだけで学んだような気になりますが、実際に富士山への一歩を踏み出していません。そして残念なことに、地図を読むだけでは、偽りとなる可能性が高くなります。
「人から出るものは偽りの知性です。しかし主からみ言葉を通してくるのは真の知性です。」(AE251-9) と天界の教えにあるように、人から出る偽りとなれば、真の知性とはなりえません。
「見よ。それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう、その馬は鷲よりも速い。ああ。私たちは荒らされる。」(エレ4:13 、AE251-10)
馬は理解を、鷲は知性を表します。拙速な理解は偽りに陥り、富士山にたどり着く前に、樹海で永遠に迷い、心を「荒らされる」ことになります。
主と天界に近づくためには、四つの生き物の摂理で守られている、主と天界に、愛で近づくしかありません。真理を実行するまで、心を高めなければ善にも愛にも、知恵にも、知性にさえなりません。
そして主と天界から、直接・間接の流入を得るために、もう一つ大切なものがあります。
「二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。」(4:10)
二十四人の長老が表す、あらゆる善と真理の知識は、主の御前にひれ伏し、自分の黄金の冠を御座の前に投げ出し、「すべての善と真理は、すべて主おひとりから来ている」と認め、感謝します。
主が感謝を求められているのではありません。私たちが主から善と真理を得るためには、深い卑下が必要なのです。上から下に水が流れるように、卑下のない心には、流入は生まれません。下から上には力は流れません。私たちが主に捧げものをするときも、実は主のものをいただいていることを自覚しなければ、何も生まれません。
二十四人の長老が冠を投げ出して、礼拝したように、善と真理はすべて主のものであることを、行動で確認し表現するとき、私たちに改良が始まります。それはみ言葉では「創造」と呼ばれます。
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにc方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(4:11)アーメン
エレミヤ書 新改訳
4:9 「その日には──【主】のことば──王の心や、高官たちの心は萎え、祭司はあ然とし、預言者はたじろぐ。」
4:10 私は言った。「ああ、【神】、主よ。まことに、あなたはこの民とエルサレムを完全に欺かれました。『あなたがたには平和が来る』と言われたのに、剣が私たちの喉に触れています。」
4:11 そのとき、この民とエルサレムに告げられる。「荒野にある裸の丘から、熱風は、娘であるわたしの民の方に吹く。ふるい分けるためでも、より分けるためでもない。
4:12 それよりも、もっと激しい風が、わたしのために吹いて来る。今や、わたしが彼らにさばきを下す。」
4:13 見よ、それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう。その馬は鷲よりも速い。ああ、私たちは荒らされる。
4:14 「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。
ヨハネ福音書
4:1 その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。」
4:2 たちまち私は御霊に捕らえられた。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。
4:3 その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。
4:4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。
4:5 御座からは稲妻がひらめき、声と雷鳴がとどろいていた。御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。
4:6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
4:9 また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、
4:10 二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」
黙示録解説288
[3] み言葉の中で、「栄光と誉(ほまれ)」はたびたび表現が出てきます、そこにある「栄光」は真理を意味し、「誉れ」は善を意味します。この二つがともに出てくるのは、み言葉の個々には、天界の結婚があり、それは善と真理の結合であるからです。み言葉の個々に、この結婚があります、なぜなら主から発する神的なものは、神的善と結びついた神的真理であり、これらがともになって天界と教会を造るからです。そのため、この結婚がみ言葉の個々にあります。そのため、み言葉は主から発する神的なもので、主ご自身です。これがみ言葉がもっとも神聖である理由です。
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