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【最新説教】

疫病
「外には剣、内には疫病と飢饉。野にいる者は剣で死に、町にいる者を飢饉と疫病が滅ぼし尽くす。」(エゼキエル 7:15)

細菌やウイルスなどの病原体が、人体に侵入し、増殖をはじめることを感染といいます。
そして、この増殖の過程で病原体が出す毒性が、様々な病的な症状を引き起こし、感染症と呼ばれます。
伝染性を持つ感染症が流行すれば、疫病といわれます。

現在は、明確な治療方法がない疫病が全世界に広がり、パンデミックと言われています。世界の歴史では、過去何度も疫病の大規模な流行がありました。14世紀に起こったペスト、黒死病によって正確さは欠きますが、当時のヨーロッパ人口の半分から三分の二に当たる人が亡くなったと言います。

現状のパンデミックは当時に比べれば致死率は小さいのですが、不安と恐れと不正確な情報による混乱、いわれのない差別、日常生活の混乱は、程度の差はあれ中世のペスト流行と同じかもしれません。過去のペストの大流行は三度あったといわれ、東ローマ帝国で6世紀から8世紀末に起こり人口が半減し、上述のヨーロッパで14世紀から17世紀末、そして中国からインドで起こった19世紀から近現代です。

疫病はペストだけではありません。古くはハンセン病、コレラ、結核、チフス、梅毒と、病原体を変え人類を襲います。病原体を特定し、それに対する対策を立てても、今回の疫病のように、いわば手を変え品を変え、人類とその社会や生活に計り知れない影響を与えます。中世のペストでどれだけ聖職者や信仰深い方々が亡くなったかを考えれば、利己的な願いではなく、深い主の摂理への信頼がなければ、この苦難は容易に乗り切れません。
「主に信頼する者は主から絶えず善を受ける。何が起ころうとも、それが有益に見えようが、そうでないように見えても、それは善である、なぜなら永遠の幸福に資する手段となるから。」(天界の秘義 8480)

今起こっている疫病パンデミックに対しても、過大視せず、そして過小にも考えず、冷静に対応しなければなりません。主に信頼しつつ、合理的見地から、周りの噂や、誤情報にも左右されず、自分の抵抗力を高め、長期戦に臨むしかありません。自分だけ、自分の家族だけは助かりたいという祈りをしても、利己的な願いにしかすぎません。利己的な愛は神の愛とは根本的に矛盾します。矛盾しないためには、隣人を助けつつ、主の摂理に信頼して、対策をたてることが求められます。

人類を苦しめる、病や疫病は、どこから来るのでしょうか?その人の遺伝のせいでしょうか?神様の罰でしょうか?

「人類の病気にはすべて、霊界との相応があります。霊界に相応を持たないものは、自然界では何一つないからです。」(天界の秘義5711)
霊界とは、恐ろしげな世界ではありません。霊界と自然界とは、いわば原因と結果の関係にある世界です。原因がなく生まれる結果がないように、すべて自然界の事物は、霊界に原因を持ちます。
この原因と結果の関係を「相応」と呼びます。
「霊界とは天界と地獄です。・・そして病気は、天界とは相応がなく、地獄と相応を持っています」(天界の秘義5712)。

霊界はすべて自然界に生まれ、霊界に移行した人から出来ています。純粋に霊界に生まれた霊は存在せず、自然界は霊界の苗床のような存在です。しかし自然界の要素である時間と空間が、霊界にはありません。そのため自然界の過去に生きた人は、物質的なものを脱ぎ去り、すべて霊界にいます。

「病気が地獄にいる者たちと相応するのは、病気は、邪悪な願望と、低級な心の欲念との間に相応関係をもっているからです。そしてこれらの願望と欲念が病気の源です。その源とは、不摂生、自己満足、とことん肉体的な快楽、そして嫉妬心、嫌悪、復讐心、わいせつな心などで、これらは人の内部を破壊します。」(天界の秘義5712)
これらの地獄の霊のもつ低級な欲念と願望が、病の源となっています。この世で不潔極まりない欲念や願望を発していた人たちは、あの世にいってからも、同じような欲念を出して、この世に注ぎ込んでいます。

ただし、地獄がこの世に影響を与えるのは、限られた範囲です。地上の私たちの肉体や内部組織、四肢に直接影響するのは禁じられています。私たちを守るため、主が部分的に相応を絶たれたわけです。地獄が影響できるのは、自然界の人間の悪念や、偽りの思考部分だけです。いわゆる霊的関係だけであり、物理的影響はありません。
ただし、自然界の人間が病にかかった時、悪念や偽りの思考を超えて影響することができます。同種の相応する部分に影響します。
これが病の源です。(天界の秘義5713参照) 両者が結びつきを強く求めるため、相応が復活したのかもしれません。

通常は病が発しても、人の持つ免疫機能が働きます。しかし免疫機能の源は、人間が本来持つもののように言われますが、実は天界です。そして同じように、これを阻害するものも、地獄の働きです。
「天界は、すべてあらゆる対象につながりを与え、害悪から守ろうとしますが、地獄は破壊し、互いに分断しようとします。」(同上)
健康な人体に、病原体が入ってきたらこれを認識して、病原体が入ってきたという情報を関係する器官に与え、これを除外する細胞を派遣して人体を守ろうとします。私たちが持つ免疫機能で、自然に備わっているものと言われています。しかし、分断が起こると、病原体を害悪と判断せず、この害悪であるという情報はどこにも伝わりません。そのため害悪を除去する機能が全く機能しません。

これを人体から離れて、世界の政治の現状になぞらえるなら、連想できることが多数あります。
自国のみの優先を説く為政者や、それを支える人たち。一方的に別の世代を攻撃するだけの運動。多様性、すなわち自己を受け入れるよう主張する運動。個別の運動の良否の判断はしませんが、少なくとも世界に対立と分断が起こっています。協調とつながりがあり、それぞれに大切な役割があることを忘れて、分断と破壊に向かって、世界の趨勢は、進み始めています。分断が進めば、つながりは失われてしまい、それぞれの役立ちが失われて、全体の破壊が進みます。

天界からの教えのうちにも、「分断して統治せよ」を行動原理とする霊たちが描かれています。彼らの望みは、すべてを支配することです。彼らの前では他の霊は生気を奪われ、麻痺状態が起こり、数多くの病を引き起こして鈍感となってしまいます(参考天界の秘義5718)。これも脳の病気を引き起こす源の一つです。

人体であれ、政治であれ、この世で自然に単独で存在できるものはありません。よく使われる「自然」という言葉は、人の深く考えようとする思考さえ奪い、自然的なものに留めてしまう場合があります。自然の働き、自然の流れに逆らう、などです。本来、その原因、深い原因を考えるため、人には合理性という能力が与えられています。これは、主が人間すべてに与えられた能力です。ところが現代では、場当たり的な対処療法だけが優先される傾向が強くなっています。その風潮が強まれば、より悪いことが起こります。自分だけを優先するのが自己愛であれば、自分の立場を守るため、とりあえずとりつくうのは、世間愛と言えます。そして自己愛と世間愛は、地獄の愛、地獄そのものです。隣人愛と主への愛を本質とする天界と全く対立する世界です。

聖書、神のみことばは、相応で書かれています。エゼキエル書7章は、最後の審判のことが書かれています。(預言者と詩編130)
最後の審判とは、教会が教会として機能しなくなったと判断されることであり、これは組織や教義だけではなく個々人の中にある教会についても同じです。地獄と天界があること、人が死んで霊界で永遠に生きるなど、基本的なことを教えるはずの教会が、その知識を失い、全く機能しなくなっています。

本来、教会とは、地上の主の王国です。主の支配、戒めに従い、天界の天使となるため人は悔い改めから改良・再生への道を歩みます。主人公であるはずの主を忘れ、嫌い、別の対象を偶像として祀り、隣人を愛するはずの教義を変え、自分とその仲間だけを愛するようになれば人は地獄に向かいます。そして、その愛が永遠に固まってしまう時、主によって最後の審判が下されます。

エゼキエル7章の表現は、
「今、間もなく、わたしは憤りをあなたに注ぎ、わたしの怒りをあなたに出し尽くす。あなたの生き方のとおりにあなたをさばき、あなたのすべての忌み嫌うべきわざに報いる。わたしはあわれみをかけない。惜しまない。」(7:8,9)
熾烈を極める表現です。それは自己愛と世間愛に固まってしまった者に、隣人愛と主への愛を基調とする天界に入ることは、彼らにとっての「地獄」でしかないため、強い表現で教会の終焉が預言されています。自己愛と世間愛を好み、他の何も望まない者にとっては地獄が、最高の場所であり、隔離されなければ、周りに害毒を与えるだけの存在であるからです。

「外には剣、内には疫病と飢饉。野にいる者は剣で死に、町にいる者を飢饉と疫病が滅ぼし尽くす。」7:15
「剣とは、真理の荒廃と虚偽の断罪です。飢饉と疫病は、善の荒廃と悪の断罪です。剣は外と言われ、飢餓と疫病が内とされたのは、真理の荒廃は外にありますが、善の荒廃は内に起こるためです。しかし、人が虚偽を使って守られている悪に従って生きるときは、破滅は「町にいる者を飢饉と疫病が滅ぼし尽くす。」で意味されます。(天界の秘義7102-4)

エゼキエル書のこの部分は、剣による戦争と、疫病と飢饉が起こることを預言しているのではなく、善と真理が荒廃して、悪と虚偽によって台無しにされ、教会が役に立たなくなることが預言されています。すなわち地上の天界である教会の破滅の預言です。

そしてルカ福音書の次の句も、教会の荒廃と最後の審判が言われています。
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こります。」(21:10,11)
文字の上では、世の中に現れる自然現象や争いを言っているようですが、そうではありません。

ここでいう「疫病」は、偽りによって真理が奪われ、悪によって善が奪われ、これらの剥奪によって霊的生命が奪われることをいいます(黙示録解説386-7参照)。
霊的生命とは、例えば道徳的な生き方をしながらも、その元となる愛や仁愛が無い生命、生き方です。外面だけ道徳的な生き方ですが、心から相手のためを思って行うのでなければ、形だけの生き方となります。相手のためのことなど、どうでもいい、とりあえず自分の行動が後ろ指をさされなければいいという外面だけの行動は霊的生命を欠きます。相手のためを考えるという思いが無くなると、言葉の定義や範囲にこだわるようになり、こうだ、ああだと言い争い、本来の趣旨が失われる場合が出てきます。例外や抜け道はいくらでも現れて、道徳はその「霊的生命」を失い、空っぽな文字となってしまいます。

教会が荒廃して、最後の時を迎えるとは、信仰の中に、相手への思いやりや愛がなくなるときです。
教条や道徳が並べたてられても、その中に、相手への思いやりが失われれば、生命はありません。
「最後の時に滅び行く信仰とは、他でもない仁愛が意味されています。相手への思いやりに基づく信仰以外には、どんな信仰もありえません。」(天界の秘義1843-3)

教会を構成する善と真理の知識が失われ、堕落と腐敗が進めば、あらゆる厄災が起こり始め最後には教会は滅んでしまいます。これを阻止するため、「いつも目を覚まして祈っていなさい。」(21:36)と警告されます。目を覚ますとは、霊的生命を受けなさい、本来の目的に目覚めなさい、という意味です。
信仰や道徳のもとなる、相手や社会への思いやり、愛に気づきなさい。もっと深く考えて、眠ってないで、真の意味に気づきなさい、と警告されています。
「いつも祈っていなさい」とは、自分を整えその心構えをしなさい、ということです(黙示録解説 187:5)。

疫病の大流行の中で、目先のことに心を奪われ、恐怖の中に生きるよりも、本来の生き方とは何か、本物の生命とは何かを考え、それを実際に生きようとすることで、本物の生命、霊的生命を受けます。
すなわち、相手への思いやりと愛が大切であることに、気づき、その心構えを常に持ち、隣人のために働きます。
さらにその源である主の愛に気づけば、主の摂理に深く信頼することが可能となります。そうすれば、地上の天界である教会にも相応が回復し、天界の影響力が強くなり、免疫力も働くはずです。
「いつも目を覚まして祈っていなさい。」(21:36) アーメン 

新改訳2017エゼキエル
7:1 次のような【主】のことばが私にあった。
7:2 「人の子よ、あなたは言え。『イスラエルの地に対して【神】である主はこう言われる。終わりだ。終わりが来た。この国の四隅にまで。
7:3 今、あなたに終わりが臨む。わたしは怒りをあなたのうちに送り、あなたの生き方にしたがってあなたをさばき、あなたのすべての忌み嫌うべきわざに報いる。
7:4 わたしはあなたにあわれみをかけない。わたしはあなたを惜しまない。忌み嫌うべきことが、あなたの中にあるうちに、わたしはあなたの行いをあなたの上に返す。そのときあなたがたは、わたしが【主】であることを知る。
・・・
7:14 ラッパが吹き鳴らされ、すべての準備ができても、戦いに行く者はいない。わたしの燃える怒りが群衆すべてに臨むからだ。
7:15 外には剣、内には疫病と飢饉。野にいる者は剣で死に、町にいる者を飢饉と疫病が滅ぼし尽くす。

【新改訳2017】
ルカによる福音書
21:8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れて、『私こそ、その者だ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人たちの後について行ってはいけません。
21:9 戦争や暴動のことを聞いても、恐れてはいけません。まず、それらのことが必ず起こりますが、終わりはすぐには来ないからです。」
21:10 それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
21:11 大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。
21:12 しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。
21:13 それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。・・・・
21:36 しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」

黙示録解説734[24]
「わたしの名を名乗る者が大勢現れて、『私こそ、その者だ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人たちの後について行ってはいけません。戦争や暴動のことを聞いても、恐れてはいけません。・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こります。」(マタイ24:5-7; マルコ13:6-8; ルカ21:8-11).
これは主が世の終焉について弟子達に語ったことであり、教会の最後の状態を意味することが、この章に描かれています。
みことばの真理と善の継続的な曲解と虚偽化が行われ、最後には偽りと悪以外に何も残らなくなります。
「主の名によってきて、自分をキリストと呼び、多くの人を迷わす」とは、これが神的真理であるといいながらやってきますが、しかしそれは真理を虚偽化したものであり、それはもはや虚偽としかいえません。「キリスト」とは神的真理に関しての主のことですが、ここでは反対の意味で、虚偽化された神的真理です。「戦争と戦争の噂の話を聞き」は、真理に対して論争と争いがあり、その結果虚偽とされます。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」は、悪は別の悪と戦い、虚偽は別の虚偽と戦います、なぜなら悪は悪同士の中で、虚偽は虚偽同士の中で決して意見がまとまらないからです。これは教会がなぜ分割され、幾多の異端が何故起こるかを物語ます。民族は悪にいる者を意味し、国は虚偽にいる者をいい、教会を構成しています。
「飢饉や疫病と地震が起こる」とは、もはや真理と善の知識は全く残らず、その教会の状態は、腐敗した虚偽のため変化します。飢饉とは真理と善の知識の欠如が、疫病は虚偽による腐敗が、地震によって教会の変化が意味されます。